ryuuki-kirokuの日記

25歳の自分から未来の自分へのタイムカプセル

【第14回】この夏の出来事

こんにちは!!

久々の日記更新です(笑)

最後の更新が44日前で驚きです!

今回はこの2ヶ月で起こったことを日記に残そうと思います。

(ちなみにこのブログは本日日曜日、山下公園のベンチで書いております(カップルがたくさんおられますね!))

 

先月7/10祖母が亡くなりました。

前々から糖尿病からの透析で療養型の病院に入院していたので予後は良くないだろうと思っていたので自分も覚悟はしていました。

仕事変え帰り、明日から3連休なので今夜は「宴だー」とおもい、Uberで韓国チキンを食べていたところです(ちなみに韓国チキンは美味しくなかったです。自分が作った唐揚げのほうが遥かに美味しい)母からラインが入りました。

 

、、、おばあちゃん今日か明日が山場だって。

 

と、思わずチキンを食べる手が止まりました。

そこまで焦りはしませんでしたが。

明日実家へ帰ろうと準備をし母に

 

、、、スタンバってるからいつでも連絡をちょうだい

 

と、返事をして枕元に携帯をおいておいてその日は寝ました。

 

翌朝5:00頃

目が覚め、5分おきにラインを確認。

 

そして7/10 5:25

、、、おばあちゃん、先程息を引き取りました。

と連絡が入りました。

 

自分はすぐ起きて向かう準備をしました。

向かう電車の中で思っていたことは

「「身内のご遺体を見るのは初めてだなあ苦しい顔してないといいなあ。人は死んだろどうなるんだろう。何かおばあちゃん、おじいちゃんに孫としてできることはないかな」」

と、頭ぐるぐる。

 

そしてお昼すぎにおじいちゃんの家に到着。

葬儀は12日に決まったのでおばあちゃんは2日間はお家過ごすそう。

やく1年ぶりの再会。

 

心配していた顔は思ったよりも変わっていなくて少し安心。穏やかすぎて今にでも起きそうなくらいでした。

とりあえずお線香をあげておじいちゃんと色々今までのことを聞きました。

 

借金がありよく家を出ていったこと、自分が生まれたときにはおばあちゃんはいなかったこと。

また元々糖尿病を持っていたにもかかわらず治療を怠っていたこと。でも、自分たちが帰るといつも笑顔で迎えてくれたこと。乳がんになって片方を取ってしまってもいつもどおりのおばあちゃんだったこと。亡くなる一年前に大腿骨を折ったにもかかわらず、元気に前向きにリハビリしていたこと。透析の針がなかなか刺さらなくて大変な思いをしたこと。でも、食欲はとてもあったみたいで看護師さんに「ご飯食べたい食べたい」と言っていたこと。

涙をこらえることで精一杯でした。

でも、しんみりした空気は自分は大嫌いなので

「おばあちゃんにご飯あげないと!これから仏様になる旅にでるのにきっとお腹すいてるよ!」と言いました。

 

そこでみんなで枕飯、枕団子をつくりながら

「おばあちゃんご飯だけじゃ物足りなさそうだね」

「おばあちゃんの梅干し添えてあげたいくらいだよね」

「そういえばおばあちゃんのごはん、美味しくてよくお代わりしてたなあ」

など、みんなでおばあちゃんの思い出を語り合いながらご飯とお団子を作りました。

 

おばあちゃんはおじいちゃんとフタリグラシだったのでおじいちゃん一人にできないということで自分がおじいちゃんとおばあちゃんと同じ部屋で話していたら、おじいちゃんが

、、、「おい、遥(本名)。酒飲むか?」

と、一言

おじいちゃんはお酒が大好きで、よく小さい頃は親戚でお酒が飲める人は飲んで他愛も無い話をしながら馬鹿笑いしているおじいちゃんをふと思い出しました。

、、、「飲む!飲む!せっかくだからおじいちゃんが作ったお酒飲みたい!」

と返事する。

そしたらおじいちゃんもその気になってくれて

なんと机も出さず、床に新聞紙を敷き、そこにかっぱえびせんと柿の種を広げ、おじいちゃんは焼酎(大五郎のでっかいやつを出してそれを注ぎ)自分はおじいちゃんの手作りレモンサワー隣で寝ているおばあちゃんに乾杯しサシ飲み開始!

お酒を飲みながら今まで知らなかったことを話してくれました。

この時間は一生忘れることはないと思います。

とても尊い時間でした。

と、同時にもっとおばあちゃんが生きていたときに色々してあげたかったという後悔がじわじわと水に溶けていくインクのように自分の心に広がっていきました。

でも、そんなことを考えていてもおばあちゃんは戻ってこない。だから今いる親戚を大事にしようと心に決めました。

 

そして葬儀の準備や親戚への連絡などバタバタしていたらあっという間に葬儀当日に、

 

当日はなれない喪服(スカート)を着て

家族葬用の会場に移動しました。

 

会場につくと控えめだけどしっかりと作られた祭壇、おばあちゃんの遺影、おばあちゃんが眠っているちいさな棺(式前におばあちゃんへのお着替えなど儀式?的なものは終えてあります。)

それを見たとき

*1

と再認識。

式が終わると最後におばあちゃんが眠ってる棺にお花を入れました。

「よかったな。お前が大好きな花がこんなにもたくさんだぞ。」

と、おじいちゃん、

「あ!そうだ!おばあちゃんの大好きな桃はどこに置いとこうか?すぐ食べられるとこがいいよね!」

と、母と自分

「おばあちゃんにはピンクのお花がすごいにあってるね!きれい!」

と、母のお姉さん

そして

「これで故人様のお顔が見れるのはこれで最後になります」

と、葬儀屋さんから一言。

みんなおばあちゃんの顔を焼き付けようと必死でした。

そして出棺。これから火葬場へみんなで向かいます。

 

のどかな田舎道を進んで山の上にある見晴らしのいい火葬場へ到着しました。

つい最近新しく建て替えがあったそうで、無機質ながらも柔らかい不思議な雰囲気でした。

そして火葬が行われる部屋へおばあちゃんが眠っている棺は機械によって運ばれます。

そのときの音が今でも頭にこびりついて離れません。

そして、本当に本当におばあちゃんのお体とお別れの時。

頑丈な扉でおばあちゃんと自分たちが隔てられた瞬間心のなかで

*2

言っていました。本当にあの瞬間は忘れられません。

 

その後はお骨になるまでの時間を職員さんに言われ待合室で食事をしながら待っていました。

それから約2時間後火葬終了の館内アナウンスが流れます。

そこには小さくなったおばあちゃんのお骨がありました。職員さんが説明してくださいながらみんなでおばあちゃんのお骨を骨壷に入れていきます。入れ歯や骨折したときに入れたボルト。しっかりとした喉仏。おばあちゃんが生きた"証"がそこにはありました。

*3

と感じるほど。

そして小さくなったおばあちゃんのお骨が入った骨壷を抱え行きとは違う道を通って帰りました。

(火葬場へ行く道と帰る道を違う道にするには理由があるみたいで道を変えることで亡くなった方が戻ってこないように、言い換えるとあの世へ安らかへ行ってくださいとの意味があるそうです)

やっと長い一日が終わりおばあちゃんは住み慣れた家に帰っていきました。

 

自分は次の日仕事だったため家まで送っていくと言った親に断りの返事をし電車に乗って帰路につきました。

 

長くなってしまいましたが。

今回おばあちゃんの葬儀まで過ごしてみて

最後まで凛々しかった母がすごいなと思いました。(亡くなったおばあちゃんは母のお母さんだったので)さすが母。

当たり前だけど家族を今以上に大切にしようと思いました。

後悔する前にしないような努力を心がけよう。

そしておばあちゃんあちらで今まで食べられなかった物たくさん食べて安らかにお過ごしください。

 

 

*1:ああもう、おばあちゃんは自分たちとは違う存在なんだ

*2:もう行っちゃうんだね。おばあちゃん。

*3:ほんと一人でがんばったなあおばあちゃん。ほんとお疲れさま